Hosting the International Symposium on Mechanobiology (ISMB) 2014
メカノバイオロジーの国際学会として最大のISMBは、その第1回が2011年に上海で行われた。2014年5月20日から23日に岡山で開催されたISMB2014は、その第2回である。高橋は、事務局長としてこの学会の開催に携わった。
ISMB2014の大会長である岡山大学大学院医歯薬学総合研究科システム生理学教室教授・成瀬恵治より、大会開催案内の文案作成の勅命が下ったのは2012年も暮れの12月26日である。会場は、岡山大学医学部敷地内のJunko Fukutake Hall(通称Jホール)に決まった。といっても、ルーブル美術館別館を手掛けた世界的建築家SANAAの設計による、この壁面総ガラス張りの近未来的ホールは、当時まだ着工されていなかった。
2011年の上海大会の参加者約250名のリストを整理し、翌2013年1月にISMB2014の開催通知文を送った。5月初旬にかけて、プログラム委員の依頼、シンポジウムのセッション数の決定、その公募、アブストラクトの提出期限および大会の参加登録期限の設定を行った。さらにスケジュールの策定、基調講演の依頼、抄録のフォーマット策定など、多くの事務処理があった。参加者は150~200人程度を想定するものの、実際その人数が集まるという保証はどこにもない。この規模の国際学会を主催した経験がないため、あたかも方位磁針を片手に険阻な未開地を進むような心境である。
大会の準備の初期段階では、基調講演演者や各シンポジウムの題目の決定などアカデミックな内容の仕事が多く、これはプログラム委員会の許可を仰ぎつつ主催者である当教室の部隊が中心となって進めねばならない。学会の会期が近づくにつれ、大会会場の部屋割りやホテルの手配などアカデミックでない仕事の比重が増えていくが、これはコンベンション会社のメッドと旅行会社のJTBという強力な支援部隊の活躍により適宜進められた。プログラムの作成や協賛の依頼など、システム生理部隊の仕事は尽きることがないが、この段階では既に未開地ではなく、険しくもよく整備された道を行く感覚に近い。
ところで大会の会場設定には逸話がある。通常、学会では個々の小会場は壁に囲まれた独立した空間であることが常識である。ISMB2014も当初そのように考えており、メイン会場をJホールとしその他3つの小会場を大学医学部内に確保しようとした。会期は平日であるから、講義室やセミナー室を3つ確保するとなると、他教室と小競り合いのような格好になる。何とかならないか――。結果的にはJホール内で5会場すべてを割り振った。というと簡単なようだが、ホール内の各小会場は壁で区切られておらず、カーテンのパーティションがあるだけである。外壁がすべてガラスであることからも窺えるように、このホールの設計思想は人々の間の壁を取り払うことにある。いわゆる壁のないところで5会場を設けるのには主催者自身にも心理的抵抗があったが、音響テストの結果なんとか行けそうだということになり、1, 2時間ほどの議論の末、壁なしのホールで4セッションを同時に行うという「賭け」に出た。
そうして大会初日の2014年5月20日を迎えた。中国山地と四国山地に囲まれた岡山は年間を通して比較的降雨が少なく、「晴れの国」と呼ばれる。晴れの国岡山の5月であれば雨は降らないだろう、したがって初日夕刻のレセプションは屋外で優雅にシャンパンを傾けよう、というのが当初の目論見であった。が、この日は無情にも雨が降った。しかし静かな雨であったため、予定通りJホールの屋根下でいくことにした。
ところがOpening remarkの開始1時間前というのに、会場はシステム生理、メッド、JTBの主催者以外ほとんど人がなく、静まり返っている――。本当にこの大会は成立するのだろうか?とは、口にせずともその場の少なからぬスタッフがもたげた不安に違いない。大会長の成瀬教授は、参加予定者が何人来ているかしきりと尋ねた。結果的に初日の参加者はスタッフを除き50人弱であった。後でわかったことだが、雨を敬遠してホテルでくつろいでいた参加者も少なくなかったようである。
翌日からは晴れた。昨日のやや静かなレセプションが嘘のように、各国から続々と参加者が現れて160人を超えた。朝から始まったシンポジウムは、会場によっては立ち見の活況を呈している。懸念であった壁なし会場での4セッション同時進行は、隣接小会場からの若干の音漏れがありつつもさほど気にはならず、不満の発生閾値が低い欧米の参加者からも目立った批判はなかった。むしろすべての会場が平屋で壁なしのホール内に集結していることで、会場間の移動が容易であるというメリットが勝った。「賭け」は当たった。
日中のセッションが終わると、若い層を中心に岡山の街に繰り出して連日連夜景気のいい盃が交わされた。3日目のバンケットは、岡山城を文字通り貸し切って盛大な宴が催された。準備していた寿司などの料理は開会早々蒸発したように消え去って、予備の料理をたいらげてなお参加者の胃袋は満たされなかった。最終日は午前中でセッションを終え、3年後の次回ISMB大会の主催国となるシンガポールへ、ISMBの旗を文字通り譲った。
この大会が盛況のうちに幕を閉じることができたのは、ISMB名誉会長Yongde Shi教授、会長・曽我部正博教授をはじめ、International Committee、プログラム委員の先生方、そして参加者の皆様のご尽力によることは言を俟たない。ここに深くお礼申し上げます。