JAXA Investigations of Isolated and Confined Environments
JAXA有人閉鎖環境閉鎖試験
ユーリ・ガガーリンの有人宇宙初飛行(1961年)から50年、人類は長期間にわたって宇宙空間に住むことができるようになった。
宇宙滞在の長期化によって生じる問題に、精神・心理的ストレスがある。
その原因は:
1. 火災などの事故が起こっても逃げられない。常に危険にさらされているにもかかわらず、実質的に脱出不可能。
2. 宇宙ステーションは狭い。生活圏はバスくらいの大きさしかない。
3. 社会的に孤立している。家族や友人に会えない。宇宙ステーション内の少数の同僚と人間関係がうまく行かないと大きなストレスになる。
4. 宇宙飛行士は多忙である。分刻みでスケジュールが組まれており、いつも仕事に追われている。
このような環境で数ヶ月も暮らしていると、欝などの病的な精神状態になりかねない。最悪の場合、宇宙飛行士が攻撃的・破壊的な行動を起こしてしまう危険がある。
有人閉鎖実験の目的は、長期の閉鎖環境滞在で起こる宇宙飛行士の精神的変化を事前にキャッチする方法を確立することである。
有人閉鎖実験の目的は、長期の閉鎖環境滞在で起こる宇宙飛行士の精神的変化を事前にキャッチする方法を確立することである。
実験はJAXAつくば宇宙センターの宇宙飛行士養成棟内にある、閉鎖環境適応訓練設備で行われる。この設備は、実際の国際宇宙ステーションの構造を模して設計されており、JAXAの宇宙飛行士の第3次選抜もここで行われる。
2004年の第2回JAXA有人閉鎖実験では、書類選考、面接および詳細健康検査を経て、最終的に3人が被験者として選ばれた。
以下、2004年2月25日から3月5日までつくば宇宙センターで行われた第2回JAXA有人閉鎖実験に、私が被験者として参加したときの記録を示す。
閉鎖設備は「宇宙飛行士養成棟」の中にある。この日の天気は良好。しかし閉鎖設備の中に入ると、1週間は外の天気を見ることはできない。
閉鎖環境適応訓練設備。実際の国際宇宙ステーションのモジュールと同じ寸法で作られている。NHKドラマ「まんてん」の撮影もここで実際に行われた。
閉鎖設備内部。天井には追跡可能なカメラが死角なく置かれており、トイレ・バス以外は24時間監視されている。さらに集音マイクが各区画にあるので、会話もすべて傍受される。毎朝この場所で天井のカメラの前に立ち、外部のカウンセラーの問診を受ける。宇宙でも同じことが行われているのだろう。
上の写真の位置で振り返ったところ。この区画が主な作業空間だ。
ちなみに左のドアの中は「PMCルーム」と呼ばれる部屋(といっても電話ボックス並みに狭い)で、テレビ電話で外部のコマンダーと交信する。奥の扉はずっしりと重く、金庫のようだ。鍵はかけられていないが、ここから出てしまうと実験は中止となる。
アクチグラム。加速度を検出して、被験者の動きを記録する。風呂以外は常時装着しており、寝ているときはちょっとジャマになる。なんとなくスパイ気分ではある。
ベッドルーム。8人収容可能。一般に宇宙飛行士選抜では全室フル稼働する。ここでも天井には死角なく2台の監視カメラがあり、被験者の行動を常にモニターしている。わずかな空き時間に横になって休んでいると、「あとX分でXXを開始します」と容赦なくアナウンスが入る。
ベッドの拡大。造りはカプセルホテルに似ているが、横置きで若干大き目という感じだ。外界との接触を断つため、テレビ・ラジオの類は装備されていない。ちなみに携帯電話は電波が弱いため使用できない。
パスボックス(物品受け渡し扉)。課題の書類などはここから搬入される。エアロックのように、直接外部と接触しない構造になっている。閉鎖環境内では、外の天気も人も、一切見ることができない。
3日目の夕食。食事とシャワー以外は実質休み時間がないので、これが最大の楽しみだ。カロリーは1日2000 kcal前後にコントロールされている。
作業中の風景。毎日昼食後に2時間行われる「精神的負荷作業」は、とにかくツラい。単調な繰り返し作業を延々と行なわせ、被験者に意図的に精神的ストレスを与える。手前は視覚応答の時間を調べる「フリッカーテスト」を行っているところ。奥の被験者は宇宙飛行士の精神認知機能を調べるテストを行っている。
1週間のスケジュールを完遂し、シャバに出たところ。JAXAの方たちに拍手で出迎えていただいて、感動的だった。
閉鎖実験終了後、宇宙飛行士・毛利衛さんの激励を受ける3人の被験者。
外に出て真っ先に行ったのが、「太陽」を見ること。この日はすばらしい夕日を見ることができ、心が洗われる思いがした。しばらくの間は、テレビや階段や外の人々など、日常生活では当たり前の物事にいちいち感動し、当たり前の物事がどれだけありがたいものかを実感したのだった。